義務教育が終わった姉一家(平成19年)
半年近く更新せずにいた。メインのブログの更新もままならないのに、欲張って増やしたりするからいけないのだと反省。
この春は、姪っ子1号のAが高校を、2号のCが中学をそれぞれ卒業した。
メインブログにも書いたが、私はそれぞれの卒業式に当然のように出席した。
昨日、Cの卒業式に出席し、その後に姉とお義兄さんとAと私の4人でランチを食べた(Cはお別れ会などがあるので不在)。
そのとき姉がしみじみと「これで義務教育も終わったなー」と言った。
親ってそういうふうに感じるものなのか、と不思議と私も感慨深かった。
妹の私が言うのもなんだが、うちの姉は本当に行動的で、Cが小学校に上がった頃からほぼフルタイムのパートを始めたのに、PTA活動も積極的に参加し、Aが高校までずっとやっていたバレーボールの部活にも関わり、数年前から自分の趣味も充実させている。
Cの卒業式の会場だった体育館についても「ここへももう来られないのかと思うと淋しいね」と。
高校生になると義務教育でないというより、規模が大きくなるし、私立だとPTAと言っても地域との関わりは少なくなるので姉もあまり参加する意欲がないのかもしれない。PTAとか面倒くさがる親御さんも多いようだが、やっておいた方がきっと後で思い出になるんだろうな、と思った。
高校、大学と進めばどんどん親離れしていく一方だから、子どもたちやその環境とみっちり関われるのって、義務教育の間だけなんだろう。
たまにしか会わない私にしてみれば、あっという間だったけれど、親の思いはどうなんだろう。
姪っ子たちが大人になると、子どものときみたいにおもしろいことはあんまりしてくれなくなるだろうけど(しかし昨日Aは、3歳のころと同じ発言をして、私たちを笑わせてくれたけど)、もっと友だちみたいな関わりができるのではと、おばちゃんとしては楽しみ。でも親としては巣立っていく子どもの姿って、ちょっと淋しいんだろうな。
楽しみにしている私も、もう相手にしてもらえないかもしれないけど…。
しあわせな記憶(平成2年頃)
自分が子どもの頃のことは細部までよく覚えているのだが、おとなになってからのことは細かいことは曖昧。
なんだけれど、秋晴れの今日、なんとなく急に、姪っ子1号のAと姉と3人で皇居でお昼寝したことを急に思い出した。
なぜ皇居に行ったのかもちゃんと覚えていないのだが、とにかく3人で皇居の外の芝生のところで佇んでいた。バブル末期の当時、私は皇居にほど近いビルにあった会社に勤めており、土日のどちらかはたいてい休日出勤していた。たぶんその日も休日出勤した後に姉たちと待ち合わせをしたような気がする。お義兄さんは有楽町に勤めていたのでその後合流したのかも。
平日は睡眠時間3時間で猛烈に働いていたため、休日に実家に帰ったり姉の家に行ったりすると私は始終お昼寝していたため、親族は「Y(私)はいつも寝ている」と思っている。なので屋外にいてもあったかくて気持ちがいいと、つい寝てしまう。その日はちょっとだけ暑かった気がするので、たぶん春の終わりごろか、今のような初秋だったか。
その芝生で寝ていた記憶がなんだかとてもしあわせな感じがした。なぜだかわからないけど。
お昼寝した後、皇居にある売店に姪っ子とソフトクリームを買いに行って、暑さで溶けそうだったので、待っている姉のところへ急ごうと2歳くらいだったAを背負って人目も気にせず猛ダッシュして汗だくになった。
いまじゃAは私よりずっとでかい。今度は私が背負ってもらおうかな。
棒人間シリーズ(平成11年ごろ)
姪っ子2号のCは小さい頃からマンガを描くのが好きだった。マンガというかマンガチックなお絵描きなんだけど。長女のAは、小さい頃はすきあらばダンスをしまくっていたり、小学校4年生のときからバレーボールを始めたりと体育会系だったが、下はどうやら文科系。
そういえば、うちの姉も子どもの頃からお絵描きや楽器を弾くのが得意で、スポーツも万能だったから血を分け合ったのかも。私はそれらは全然ダメで、ヘンな俳句を作ったり、無意味に野山を駆けめぐったり、昼も夜もボサッと空を眺めているような子どもだった。
小学校の低学年のころ、Cは「棒人間シリーズ」というマンガを描いていた。その名の通り、棒だけで描かれたシンプルなマンガなんだけど、これが吉田戦車ばりのシュールな物語。物語っていうかオチもなにもないんだけど、なんか笑っちゃう感じで。
それを見たときに、もうおばバカを通り越して天才なんじゃないかと思ってしまった。
「Cちゃん、あんたは大きくなったら漫画家になりなさい。そしたらYちゃん(私)がマネージャーやるから」などと真面目に言っていたものだ。Cには「マネージャーとか言っちゃって、Yちゃんがピンハネしようとしてるだけでしょ」と言われたが、ピンハネするのがマネージャーの仕事である。そして会うたびに「マンガ描いてる?」と確認していた。
Cは小学校の高学年になると漫研に入り、漫画家への道をひた走っているのかと思っていたら、その頃から少女漫画っぽいものを描き出すようになってしまった。それでは普通すぎて売れそうにない。「こんなんじゃなくてさぁ、もっと昔の棒人間みたいなやつの方がいいと思うよ」とアドバイスしても、描き込むことに意義を見いだしてしまってからはもうダメである。そして小学校の卒業式では「通訳か映画評論家になりたい」とか言っていた。全然本人は漫画家など目指していなかったのである。
それでも描くのは好きみたいで、最近は年賀状などもものすごく凝ったものを描いて送ってくれるんだけど、売れっ子漫画家の道は絶たれたと、勝手にがっかりしているおばちゃんであった。
頼りないおばちゃん(平成8年ごろ)
10年前ぐらいに、姉一家と年末の買い出しに大きなスーパーに行った。買い物の足手まといなるので、姉とお義兄さんが買い物をしている間、2人の姪っ子は私が店内で適当に遊ばせることになった。
姪っ子たちは最初、私になにか買ってもらえることも期待したようで、大はしゃぎ。おもちゃ見るだの、飴食べるだのあちこちに連れて行かれた。
けれど、予想外に姉たちの買い物に時間がかかり、30分以上たっても戻ってこない。するとだんだん姪っ子たちの様子がおかしくなってきた。「ママたち遅いねー」とか「ホントにまだお店の中にいるのかな」とか、捨てられた子どものように不安が蔓延してきている。
そんなに早く戻ってくるはずもないと思っていた私が「大丈夫だよ。Yちゃん(私)がいっしょにいるじゃん」と言ったら、当時小学校の低学年だった姪っ子1号のAは太いダミ声で「ダメよ!Yちゃんは結婚してないんだからまだ子どもじゃない!」と…。幼稚園生の姪っ子2号のCまで「そうだよ」とか言っている。奴らが言わんとしていることは、子どもだけでこんなところにいつまでもいてはいけない、ということなんだけれど、なにもそんなに大きな声で言わなくても。他人がみたら私たちはどう見ても親子だろうに。まわりの人がクスクス笑っている声が聞こえてきた気がした。
しかしそのとき、Aが私のことを同類と思っている理由と、いつまでもなめられ続けている理由がわかってしまった。
花嫁にあこがれる(平成6年ごろ)
姪っ子の1号のAは小さい頃、光り物やお姫様系のものへのあこがれが強かった。女の子はたいていそうだけれど、奴のはちょっとすごかったかも。
幼稚園くらいのとき、私の顔を見るたびに「なんで結婚しないの?」を連発。あまりにうるさいので「私が結婚しないであんたになんか迷惑かけてる?」と聞くと、「だって私がきれいな衣装を着ていくとこがないじゃない」と言い出す。あんたがドレス着たいがために私が結婚しなきゃいけないのか…。
そんなある日、私の従姉妹が結婚することになり、披露宴にうちの一家&姉の一家も招待を受けた。これでちょっとはAのストレスも解消できるかと思ったら、予想以上の反応だった。
自分がきれいなおべべを着られるのもうれしかったんだろうけれど、ウエディングドレスを着た従姉妹が我々の席に挨拶に来たときに、Aは本物のシンデレラでも見ているような様子で、目を見開き口をポカンと開けていた。「お嫁さんキレイだね」と話しかけても、私の声など聞こえない様子。
しかし、披露宴が終わって、ホテルの別室で親戚一同が集まった席に、従姉妹が普段着で現れた来たとき、「お嫁さんだよ」とAに行っても知らんぷり。ドレスを着てないお嫁さんにはまったく興味なしって感じ。子どもははっきりしている。
年賀状のネタ
実は私は、かれこれ20年近く、4コママンガの年賀状を友人・知人に送りつけている。別にマンガが得意だからというわけではなく、むしろ絵は信じられないくらい下手。ヘタウマどころかベタヘタなんだけれど、始めたときはただノリというかウケ狙いで描いたら思いのほか好評だったので(自分だけがそう思っているフシもあるが)、おだてられてつい調子に乗って20年近くも続けてしまっている。
最初の1・2年は会社や仕事まわりのネタだったのだけれど、そのうち姪っ子たちをネタにするようになった。当時幼稚園児だった姪っ子1号のAが、日々おもしろいことを言うので、それをそのまま描いていた。
そんなものを毎年送りつけているものだから、久しぶりに会う友人などは「Aちゃん元気?」とか言う。姪っ子に会ったことないでしょ、って人たちまでそんなことを聞く。
自分の子どもの写真を年賀状にする人は多いが、姪の、しかも似てるんだかどうなのかも怪しい汚らしいイラストだと、インパクトだけは残るらしい。姪っ子のことは知らないだろうと思いつつ、元気かと聞かれると「もう今年は受験生だよ」などと答えると、「えー!もうそんなに大きくなったの?」とか言われる。「もうってあんた小さい頃も見たことないでしょ」と思うのだが、子どものいない私にそんな大きい姪がいるということが意外なのか、年賀状に登場しているのがいったい何歳の姪なのかのイメージがついてないだけなのかはわからないが、一様にそんな反応。
いつか本物の写真を載せて送ってみようかな。
おもしろい反応(平成4年)
姪っ子たちのことではないのだが、姪っ子2号のCが産まれたとき、うちの一家におもしろい反応があった。
実家の近所の病院でCを産んだため、産まれてすぐうちの両親と私と姪っ子Aで病院に駆けつけた。お義兄さんは姉に付き添って病院にいた。新生児室の前に一家揃って見に行ったときに、並んだ赤ちゃんの中に姉の名札がついた子がいたので「あ、あの子だ」とわかったのだが、そのときまだCには名前が付いていなかった。けれど見ていると何か呼びかけたくなるもので、赤ちゃんがむにゃむにゃと動いた入りするとうちの両親やお義兄さんまで、「あー、Aちゃん」となぜか姪っ子1号のAの名前を呼んでいる。私もつられて呼んでしまったのだが、一人冷静な本人・Aは、「Aちゃんは私でしょ?」とか言っている。そりゃそうだ。
そうなんだけどほかに呼びようがないし、みたいな感じなのか、赤ちゃんを見てAが赤児だったときのことを思い出したのかわからないが、一同同じ反応だったのでちょっとおもしろかった。これはよその家庭でもそうなのか、ちょっと興味がわいた。
※しかし最近は、胎児にニックネーム(クジラちゃんとかレモンちゃんとか)を付けるのが流行っている(?)らしいので、いまどきの人は正式名称が決まるまではそれで呼んでいるのかもしれない。
情けないおばちゃん(平成15年)
小さい頃のヘンな話ばっかり書いていると姪っ子たちに嫌われそうなので、わりと最近のいい話をちょっと。
姪っ子2号のCとは、彼女が小学校の高学年になったぐらいから、2人で映画をよく観に行くようになった。映画観た後に一緒にプリクラを撮るのが楽しみ。それも最近減ってちょっと淋しい。私が忙しすぎるからいけないんだけど。
平成15年の大晦日、姉から姪っ子たちを連れ出してくれと言われ、それならとCと映画に行くことにした。姪っ子1号のAはお友だちと遊びに行くと出かけていったが、夕飯はどこかで私が食べさせなきゃいけないので途中でAとも合流することにしていた。3人でカラオケでもして、それからご飯でも食べようかと。
ところが、映画を見終わってトイレに行ったとき、私は携帯を水没させてしまった。当然のことのように携帯はお釈迦。しかも、Aや姉と連絡を取り合わなければならない日に…。そしてまた大人げなくへこんでしまった。携帯を落としたことよりも、即日買わなければいけないので、姪っ子たちに迷惑をかけるという事態に自分が情けなくなってしまったのだ。
すると、Cは私を励まそうといろんな言葉をかけてくれた。それでもしょんぼりしてる私に、駅のホームで得意のダンスまで披露してくれた。これはおばバカではなく客観的な事実なのだが(と言ってる時点でおばバカだが)、Cはかなりのダンス上手。リズム感がそのへんの子どもとは違う。町内のダンスチームみたいなのに入っていて、東京都の大会で個人賞ももらったことがある。ものすごい姪自慢。
そんなこんなで、私もだいぶ復活したのだが、壊れた携帯の買い換えはDoCoMoショップでなければできず、古い機種を高い値段で買う始末。
その後3人で夕飯を食べに、カフェ風のイタリアンレストランに行った。大した店ではないが、大晦日価格で普段の3割増しくらいの料金だったのだが、大人からしたら驚くほどの値段ではなかった。罪滅ぼしの気持もあったので「好きな物食べな!デザートも食べな!」と言ったのだが、2人ともメニューの値段にビックリしてしまい(パスタが2000円弱)、「いいよ、スパゲッティだけで」と、ジュースすら頼まない。しつけがいいんだか、姉ちゃん、いつも何食べさせてるんだよ、と思った。
A型とB型
うちの実家の家族は全員0型。父と母が0型なんだから、姉も私も0型にしかなりようがない。ところが姉は、AB型のお義兄さんと結婚したものだから、子どもたちは親とは同じ血液型になりようがない。
ことほどさように、姪っ子1号のAはA型、2号のCはB型という結果であった。つまり家族全員バラバラな一家だ。
私はたいていの占いは真に受けるが信じてはいないのだが、血液型だけは信じる以前に「そうに決まっている」と思いこんでいる。というか、世の中の人は自分の欠点は血液型のせいにして言い訳にする傾向があるので、後付けで性格が分かれてきているような気もする。もちろん自分自身も大ざっぱで超面倒くさがり屋なのは血液型のせいだと信じている。
姪っ子たちは、そんな血液型占いなど知るよしもない頃から、はっきりと傾向が現れていた。Aは長女なのでCが産まれるまではみんなにかまわれるという生活をしていたせいもあるが、人のことを気にしたり、一人では遊べない感じだった。今でもプレゼントにぬいぐるみとかあげると、いつまでも袋から出さないでとっておいたりする。スーパーで買い物をして袋にモノを詰めるときも、ひとつひとつ丁寧に詰めている。
一方のCは、赤児の頃から我が道を行っていた。Cがはいはいをできるようになった頃に遊びに行ったとき、何か悪さをしてCは姉に怒られていた。すると床にうつ伏せにつっぷしたままごーごー泣いていたのでビックリした。「大丈夫?」と心配して姉に言うと、「いつものことだから放っておけばいいのよ」と言った。見ているとしばらく泣いてたのにぴたっととまり、一人すねてずるずるとはいはいしたまま、どっかの部屋に消えていった。私が普通に見ていた赤児たちは、どんなに怒られても泣いては怒っている本人の母親にすがりつく、という感じだったのに、Cのその行動は、まだ歩けもせず言葉もしゃべれない赤児の行動とはとても思えなかった。恐るべしB型。
妹が産まれるとき(平成3年)
姪っ子2号のCの出産のとき、姉は実家の近くの産院を選んで里帰り出産をした。当時私はプー太郎(死語?)で実家でブラブラしていたため、しばらく姉と姪っ子1号のAとともに暮らすことになった。
子どもって大人に囲まれていても、その中で最も自分に近い年齢の人をちゃんと見分けて、その人になつく習性があるため、もともとなついてくれていたAは、最初は毎日私と遊べることを喜んでいた。自分のお母さん(姉)はおなかが大きいため、しばらく抱っこしてもらえないし、私はかっこうの遊び相手だったのだろう。
ところが、しばらく実家にいたら、「お母さんはおなかの赤ちゃんのもの、バアバ(うちの母)はYちゃん(私)のもの」と思ったらしく、自分だけがひとりぼっちだと思いこんだらしい。あるときから急激に情緒不安定になった。そしてその矛先が私に来た。
ある日急に私に対して攻撃的になってきたのだ。最初は大人一同驚いたが、彼女の行動から心の動きがなんとなく読めだしてから、そういうことか、と。
朝起きて、それまでは普通に「おはよう」と言っていたのに、私の顔を見るなり「私の方が美しい!」と叫ぶ。「いや、私は別に自分のこと美しいとは思ってないからさ…(^_^;)」と言っても、当時光り物や美しいものへ興味津々だった彼女は、家族の中で一番若くて派手な私のことを、どうやら美しいと思っていてくれたようだ、ということが逆にそのときにわかった。
私が母と話しいていると「バアバはわたしのものよ!」と叫んで割って入ってくる。その他なにをしても私のことが気にさわるようで、罵詈雑言を浴びせかけられ、姉や母には「こらえてつかーさい…」と言われつつ、さすがの私も辟易していた。
情緒不安定がエスカレートしたときには、姉のおなかを蹴ろうとしたこともある。そのとき「下の子が産まれた後に、上の子の赤ちゃん返りとか始まるはずなのに、今からこんなでは産まれてきたらどうなっちゃうんだろう…」とかなり心配した。
ところが、Cが産まれたとたん、いきなり情緒不安定が収まったのだ。出産後、やっと久々に姉に抱っこしてもらえたことも大きかったんだろうけれど、家にやってきた赤ちゃんを見て、本当に愛おしそうに可愛がっていた。それとともに「赤ちゃんってかわいいね」と天使のような笑顔を私にも見せるようになった。
まー、そのあと、姉が自分の家に帰ってから赤ちゃん返りしなかったのかどうかは知らないけれど。
それにしても子どもの不思議さと繊細さを思い知らされたできごとだった。
お義兄さんと姉はそのときの慰謝料として、私にスーツを買ってくれた。